横浜地方裁判所 昭和53年(ワ)1977号 判決 1981年3月26日
原告
西山敏子
原告
西山久吉
被告
白井美納子
被告
白井脩
右被告ら訴訟代理人
小林幹司
主文
一 被告白井美納子は、原告西山敏子に対して金四七四万九六四一円、原告西山久吉に対し金七七七万九六〇三円及びこれらに対する昭和五三年一一月五日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告白井脩は原告西山敏子に対し、金三〇二万六六八八円及びこれに対する昭和五三年一一月五日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告らの被告白井脩に対する主位的請求、原告西山敏子の被告白井脩に対する予備的請求のうちその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用は、被告らの負担とする。
五 この判決は原告ら勝訴の部分に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
(請求の趣旨)
一 主位的請求の趣旨
1 被告ら連帯して、原告西山敏子(以下単に原告敏子という。)に対し、金四七四万九六四一円、原告西山久吉(以下単に原告久吉という。)に対し、金七七七万九六〇三円及びこれらに対する昭和五三年一一月五日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 原告敏子の被告らに対する予備的請求の趣旨
1 被告らは連帯して原告敏子に対し、金三七六万五〇〇〇円及びこれに対する昭和五三年一一月五日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
三、四<省略>
第二 当事者の主張
(請求の原因)
一 主位的請求原因
1 原告敏子は、別紙目録一の建物を原告久吉は、別紙目録二の建物を所有しており、被告らは右目録一の建物の一階部分に居住していた。
2 本件事故
右別紙目録一、二の建物は昭和五三年五月一四日、午前五時頃、被告らが居住していた別紙目録一の建物の一階部分において、ガス爆発が発生したため焼失した。
3 原因
右ガス爆発は、被告白井美納子(以下単に被告美納子という。)が同日午前零時頃、台所に設置してあつたプロパンガスの元栓を自殺の目的で開放し、同日午前五時頃までの間、被告らの居室内にプロパンガスを漏出させ右室内がプロパンガスで充満していたところ、被告白井脩(以下単に被告脩という。)が同時刻頃、起床しタバコを吸おうとして点火したライターの火が右プロパンガスに引火して発生したものである。
4 責任
(一) 被告美納子は、その父である被告脩が被告らの居室内で日に何回となくタバコを吸つているのを見ていたのであるから、居室内にガスを漏出させればガス爆発の危険があることを容易に認識し得たはずであるにもかかわらず、居室内にガスを漏出させ、本件事故を起したのであるから右行為は、故意、又は、重過失に基づくものである。
(二) 被告脩は、被告美納子が自殺癖を有し、いつ自殺を計るか分らない状況であることを知つていたから、同居中の父として同人の挙動に注意を払い、看護をつくすべき注意義務があるのにこれを怠り、被告美納子が居室内にガスを漏出させたことに気づかず、また、午前五時頃起床した際、居室内に多量のガスが充満していたのであるから、その臭気により容易にガスの存在を認識し得、ライターに点火すれば爆発することを容易に予見できたにもかかわらず、ライターに点火し本件事故を起こしたもので右行為は故意、又は、重大な過失に基づくものである。
5 損害<省略>
二 原告敏子の被告らに対する予備的請求の原因
1 原告敏子は、その所有であつた別紙目録一記載の建物の一階部分を被告脩に昭和五二年一〇月一六日、期間一年、賃料一か月金三万四〇〇〇円の約定で賃貸し、引渡した。
2 被告美納子は被告脩の子であるが、被告脩の履行補助者として同居し、家賃の支払や、同室内での炊事、洗濯、清掃等の家事に従事していた。
3 主位的請求原因2、3、4と同旨。<以下、事実省略>
理由
(主位的請求について)
一主位的請求原因1ないし4記載の事実中被告美納子の故意、又は、重大な過失により本件事故が起つたこと、被告脩が別紙目録一の建物の一階部分に居住していたこと、被告美納子が自殺癖を有し、いつ自殺を計るかわからない状況で、それを被告脩が知つていたこと、被告脩がプロパンガスの臭気により容易にガスの存在を認識し得たこと、ライターを点火すれば爆発を起こすことを容易に予見できたこと、右被告の故意、又は重大なる過失により本件事故が起つたことを除き、その余の事実については各当事者間に争いがない。
1 被告美納子の故意、又は、重過失について
右争いのない事実によれば、本件事故美納子がガス自殺の目的でプロパンガスの元栓を開放し約五時間の間その居室内に右ガスを漏出充満させたところ、被告脩が朝起床しタバコを吸おうとしてライターを点火し、その火が右ガスに引火して生じたものであり、また、被告美納子は被告脩がタバコ好きで日に何回となく室内でタバコを吸うのを十分承知していたというのである。
ところで「失火責任に関する法律」の但書に規定する重大な過失とは、通常人に要求される程度の相当な注意をしないでもわずかな注意さえすればたやすく違法有害な結果を予見することができた場合であるのに漫然これを見すごしたような著しい注意欠如の状態を指すのであるが、プロパンガスは、一般家庭において燃料として使用されているものであるから室内にこれを漏出、充満させた場合、極めて引火しやすく、一旦引火すると爆発ないし爆燃を起こし瞬時のうちに建物を破壊、焼失させる蓋然性が高いことは通常人に容易に予見し得るところであり、これは、近時右ガス漏出による爆発事故が散発し、それが報道されていることからも首肯し得、わずかな注意を払えば右ガスの漏出、充満、右ガスへの引火、爆発ないし爆燃をふせぎ得たのにこれを怠り建物の滅失を生じさせた場合には重大な過失があるといわねばならない。
被告美納子は、自殺目的で故意にプロパンガスを漏出させたもので、その目的から右ガス漏出による火災ないし爆発まで認識し容認していたとは認められず、本件事故の発生につき故意があつたとはいえないが、プロパンガスを故意に居室内に漏出充満させれば、被告脩が朝起床しタバコを吸うためライターやマッチ等を点火し、その火が右ガスに引火し爆発、爆燃を起こすことはわずかな注意を払えば容易に予見し得たというべきであり、被告美納子には本件事故の発生につき故意に近い重大な過失があつたものというべきである。
2 被告脩の故意、又は、重過失について
<証拠>によれば、次の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。
被告美納子は、昭和五〇年一〇月ころからヒステリー性格を基盤とする神経症性の躁うつ反応の症状が現われ、本件事故前に三回の入院をなし、また、発病以来二回服毒自殺を図つたことがあつた。昭和五三年一〇月六日三度目の入院から退院した後、別紙目録一記載の建物の一階部分に父の被告脩と居住するようになつた。被告脩は被告美納子の病歴、服毒自殺を図つたことを知つており、同人との同居は同人の看護をかねたものであつた。被告美納子の退院後の状況は、その症状の悪化の徴候は見られなかつたし、自殺を図る素振はなく、日常生活は通常人となんら変るところがなく、経過は良好であつた。本件事故の前日被告脩は夕食後炬燵に入りながらウイスキーの水割をコップ二杯ぐらい飲み午後九時ごろにはそのまま寝てしまつたため被告美納子がプロパンガスを自殺目的で漏出させたことに気づかなかつた。事故当日朝五時ごろ起床したが就寝中に右ガスを吸引していたため臭覚が鈍麻し、居室内に右ガスが充満していることに気づかず、タバコを吸おうとしてライターを点火したところ、右ライターの火が右ガスに引火して本件事故が発生した。
以上によれば、被告脩は、被告美納子の病歴、及び過去に服毒自殺を図つたことを知つていたのであるから、被告美納子の動静に注意していれば本件事故を防ぎ得たのに、被告美納子の症状が悪くなかつたことから同人に対する看護義務を怠り本件事故を発生させたものというべきであり、したがつて被告脩には過失があつたということができる。しかし、被告美納子が三回目の入院から退院した後の経過は良好で、自殺を図る素振等は見せなかつたのであるから、被告美納子に対する看護をゆるめたことは、通常ありがちなことであつて、これをもつて重大な過失があつたとすることはできない。また、朝起床した後プロパンガスが充満していることに気づかずライターを点火し本件事故を発生させているが、就寝中に右ガスを吸引していたため臭覚が鈍麻し、右ガスの存在に気がつかずライターを点火したのであるから、これも本件事故の発生につき重過失があつたということはできない。したがつて、原告らが被告脩に対して不法行為に基づく損害の賠償を求める点はその余の事実を判断するまでもなく理由がないことに帰する。
3 被告美納子の責任能力
<証拠>によれば次の事実が認められ、これに反する証拠はない。
被告美納子は昭和五〇年一〇月ころからヒステリー性格を基盤とする神経症性の躁うつ反応を発生し、本件事故が起こるまでに横浜市立大学病院等に三回の入院をしており、本件事故に最も接近した時期のものは昭和五二年五月三一日に右病院に入院したものであつた。この入院は家庭内の問題から自棄的になり同月二六日に服毒自殺を図つたためになされたものであつたが、治療の結果症状は漸次改善し同年一〇月六日には軽快退院となつた。退院後は別紙目録一記載の建物の一階部分に父の被告脩と居住していたが、症状も自殺の素振も現われておらず日常生活においては通常人とかわりのない状況で就職のための講習会等にも出席していた。本件事故前日の夜九時ごろ被告脩が寝た後、被告美納子はウイスキーの水割を四杯程度と精神安定剤を飲んだ後、一二時頃になつて台所のプロパンガスの双口コックのうちコンロ側のコックを開放し、湯沸器側はモンキースパナで安全バンドをゆるめ、ゴム管を外したのちコックを開放して右ガスを漏出させた。そして、台所に座布団を敷いて横になり毛布をかぶつて寝た。本件事故後被告美納子はヒステリー症状、及び躁うつ反応のため、神奈川県川崎市所在の武田病院に入院したが、当夜の自己の行動について大体のことは記憶し右のとおり供述しており、また、本件事故により被告脩が火傷を負つたことにつき罪悪感を有していた。
以上によれば、被告美納子の昭和五三年五月一四日午前零時ころの状況はその有する症状、ウイスキーや精神安定剤の影響により多少の責任能力を減弱は認められるが、その記憶、ガスを漏出させた態様、父に火傷を負わせたことに対する罪悪感を有すること等から、責任能力を喪失してはいなかつたというべきである。
二損害について
1 原告敏子の損害
<証拠>を総合すれば、本件事故当事原告敏子は、その所有であつた別紙目録一の建物を月六万四五〇〇円で賃貸し、その耐用年数である九年の間、毎月右同額の割合による収益を得たはずであるところ、本件事故によりこれを失い、この得べかりし利益の現価を月別の新ホフマン式計算方法により中間利息を控除して算定すると、金五七四万一八〇六円となり同額の損害を被つたことが認められこれに反する証拠はない。
2 原告久吉の損害
<証拠>を総合すれば、原告久吉はその所有であつた別紙目録二記載の建物を月一二万一〇〇〇円で賃貸し、その耐用年数である七年六か月の間、毎月同額の割合による収益を得たはずであるところ、本件事故によりこれを失い、この得べかりし利益の現価を月別の新ホフマン式計算方法により中間利息を控除して算定すると金九二三万一四〇四円となり同額の損害を被つたことが認められこれに反する証拠はない。
以上によれば原告らの被告美納子に対する本訴請求はその余の事実を判断するまでもなく理由があることに帰する。
(原告敏子の被告脩に対する予備的請求について)
一予備的請求原因1の事実については被告脩が別紙目録一記載の建物の一階部分の賃借人であつたか否かを除いて当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、被告脩は原告敏子から右建物部分を賃借し、賃料を支払い、自ら当該建物に居住していた事実が認められ、これに反する証拠はない。
二同2の事実については、被告美納子が右建物部分の賃貸借につき履行補助者であつたか否かを除いて当事者間に争いがない。
<証拠>によれば、被告美納子は右建物部分の賃借人であつた被告脩と同居し家事や家賃、電気、ガス、水道料金等の支払を被告脩に替つてなしていたことが認められこれに反する証拠はないから、被告美納子は賃借人である被告脩の履行補助者であつたというべきである。
三同3の事実については、前記(主位的請求について)一の1、2で判断したとおりであり、これに前記(原告敏子の被告脩に対する予備的請求について)一、二で判断したところを総合すると、前記建物部分の賃借人であつた被告脩及び履行補助者であつた被告美納子には本件事故の発生につき過失があつたことは明らかで、賃借人が負担する債務を過失によつて怠つた結果本件事故が起つたものであり、債務不履行に基づく損害賠償に関しては「失火責任に関する法律」は適用がないと解すべきであるから、被告脩は原告敏子が被つた損害を賠償すべき責任があるものといわなければならない。
四損害
<証拠>を総合すれば、原告敏子は別紙目録一記載の建物の一階部分を月金三万四〇〇〇円で賃貸し、その耐用年数である九年の間、毎月同額の割合による収益を得たはずであるところ、本件事故によりこれを失い、この得べかりし利益の現価を月別の新ホフマン式計算方法により中間利息を控除して算定すると金三〇二万六六八八円となり同額の損害を被つたことが認められこれに反する証拠はない。
(結論)
以上によれば、原告敏子の被告美納子に対する不法行為に基づき金四七四万九六四一円、同久吉の右被告に対する不法行為に基づき金七七七万九六〇三円及びこれらに対する本訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和五三年一一月五日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める請求は理由があるからこれを認容し、また、原告敏子の被告脩に対する債務不履行に基づく請求は、金三〇二万六六八八円及びこれに対する本訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和五三年一一月五日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し(以上の不法行為による債務と、債務不履行による債務とは不真正連帯債務と解する。)、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条但書、八九条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条一項に従い、主文のとおり判決する。
(下郡山信夫 松井賢徳 姉川博之)
目録<省略>